2018年1月9日放送の世界仰天ニュース
今回は丸山ワクチンの謎についての特集
どうして認可されないのでしょうか
丸山ワクチンが
がん治療に対して必ず効くものではない
という事を前提に読み進めてください
個人差があって当たり前です

 

 

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丸山ワクチンの誕生はいつ?

日本医科大学附属病院
多くの患者が集まる一角がある
そこは丸山ワクチンの外来です。

 

ある女性は進行性の卵巣がんを
患っていて余命1年を宣告されていた
切除手術の後抗癌剤治療は1回のみ
その後丸山ワクチンの投与を開始

 

すると腫瘍マーカーは最大で7300
という異常な数値を発症当時は
出ていましたが、丸山ワクチンを投与
するようになってから
ぐんぐん下がっていきました。

 

3年後に再発しましたが、切除手術
抗癌剤治療を1回だけ行ってから
再び丸山ワクチンを投与
現在まで丸山ワクチンのみで17年間の
長期延命ができています

この女性には丸山ワクチンが
力を発揮してくれたということですね。

 

実はこの丸山ワクチン
様々なガンに効果があり副作用も
ないと言われながら
現在まで認可がされていない

 

「丸山ワクチンは水と同じ」
そのように言うがん治療の権威もいた
夢の薬か幻か?
そんな丸山ワクチンはどんな薬なのか?

 

1944年まで遡ります、時は太平洋戦争の
真っ只中です、開発者となる
日本医科大学の皮膚科医である
丸山千里先生(当時43歳)
当時は結核ワクチンの研究をしていた。

 

当時日本人の死因第1位は結核
そのワクチンを作ろうとしていました。

 

副作用の少ない結核ワクチンを
作り出そうとしていたが
この試みは困難を極めていた。

 

しかし丸山先生の研究の情熱は尽きる事なく
戦争が終わったのも気づかないくらいに
ずっと研究を続けていたのです。

 

丸山先生が試行錯誤すること3年、ついに誕生!

1947年に動物実験で毒性の強い人型結核菌から
有害物質のたんぱく質を取り除く事に成功
これで副作用のない丸山ワクチンが誕生した。

 

このワクチンは皮膚結核患者に期待通りの
効果を示しました、更にハンセン病患者にも
効果を示したのです。

 

東京の東村山市、当時丸山先生は
20年間、ハンセン病患者の療養施設に
通っていました。

 

1956年のそんなある日
そして帰りの電車を待っている時に
ある事を思い出した
丸山先生が通っているハンセン病の施設には
患者が1300人もいながら
ガンを患ったケースは1件もない

 

もしかして・・・ハンセン病の患者さんは
がんにかかりにくい?
そしてすぐに同じ抗酸菌である結核菌を持つ
患者でも調べました。

 

すると結核患者がガンを発症した例は
聞いたことが無い
ということがわかった。

 

身体の中に病原菌が住み着いている限り
ガンは発生しない?
ということでは?と思うようになった。

 

丸山先生は大変なことに気がついたと思い
結核菌が何かガン抑制物質を
分泌しているか?
ガン抑制物質の産生を促進しているか?

どっちかだと丸山先生は推測。

 

そこで研究をしていた人から
同じ結核菌に由来する丸山先生の
ワクチンをがんに使ってみては?
という話が出ました。

 

当時のがん治療というのは切除手術が中心
そして抗がん剤が登場し始めた頃です。

 

それはがん細胞やっつける事が
出来るようになったが、正常な細胞も
破壊してしまうという副作用もあった。

 

そんな中、丸山先生の考えに賛同してくれる
医師がいるなら、もう手の尽くしようがない
末期のがん患者のケースに
使ってみてもらおう
、このように考えた。

 

その後全国の病院を回り、丸山ワクチンを
使ってくれる医師を探して歩いた
丸山ワクチンをそこへ置いていき。

 

1960年、鹿島白十字病院で試験投与が
行われました、母親の切なる願いを
受けてのことでした。

 

その母親の息子は急性リンパ性白血病を
患っていました、他の大学病院で
化学療法を受けたが回復の見込み無し
このように言われた、そして全身に
黄疸も出ていた。

 

医師はこの子に丸山ワクチンを投与
してみることに、半信半疑で
低濃度の丸山ワクチンを1日おきに
投与してみた。

 

すると3ヶ月後、なんと子供は回復し
食欲が出てきた、1年後に退院
丸山ワクチンによる生還者第1号
です。

 

丸山先生は浮かれてはいなかった
成長途中の子供の場合
自然治癒ということも考えられるためです。

 

その後も丸山先生が直接出向いた医師から
ワクチンの効果に対する声が多くなり
末期患者の長期延命という喜びの声だった。

 

1965年、政財界の超大物と丸山先生は出会った
河合良成氏です、吉田内閣で
厚生大臣をつとめた方です。

 

河合さんには研究結果を一刻も早く
発表するべきだと言われました。

 

しかし丸山先生はまだガンにどうして
効くのかが解明されていないから
学者として研究を続けて完成
してからでないと発表できないと。

 

しかし河合氏は、学者である自分の
立場しか考えていない、いわゆる
利己主義と言い放った
今発表すれば多くの苦しんでいる
人達を救うことになる
そうは思いませんか?

 

丸山ワクチンの臨床報告を発表

河合氏のこの言葉で、1966年
結核菌体抽出物質による悪性腫瘍の
治療について、がん免疫療法の
臨床報告
をしました。

 

当時、ガンは日本人の死因の2位
1位になるのは時間の問題と言われていた
メディアも丸山ワクチンも大々的に取り上げた
そして報道によって患者がたくさん
日本医科大学に押し寄せてきた。

 

全国から打つ手なしと言われた患者
発見された時には手遅れだった患者
ばかりでした。

 

丸山先生は患者1人1人と話し
きっと治ると励ましていきました。

 

しかし丸山ワクチンはがん患者に
必ず効くわけではない

だがきっと治ると丸山先生は言っていた。

 

ある医師は、明日をも知れない
重症の患者に治りますよ、なんて
言うのはいかがなものかと進言。

 

患者に希望を持たせてあげるというのは
命を救うのと同じように
我々医師にとって重要な使命では
ないのか
と、丸山先生は言いました。

 

ワクチン作りは結核菌を培養し
それを煮出して、一滴ずつじっくりと
抽出していく地道な方法です。

 

この時、丸山先生は70歳になっていて
1週間のうち3日間はワクチンづくり
4日間はワクチンの配布
というスケジュールでした。

 

順風満帆に事は進んでいった

1971年、山形県酒田市から訪ねてきた
加納医師という開業医、雑誌の記事を
目にして副作用がないという点で
自分の患者にもぜひ丸山ワクチンを
術後に使用させていただきたいと。

 

5年後に一括してデータを提出すると
加納医師は話し、使用は認められ
早速丸山ワクチンを使用することに
切除手術を行った患者さんに
丸山ワクチンの単独投与を始めた。

 

一方で丸山先生は、1974年にイタリアの
フィレンツェで行われていた
国際がん学会、免疫療法分科会に出席
丸山ワクチンを単独使用した症例を報告。

 

高い評価を受け賞賛されました
このままガンの治療薬として
広まっていくはず・・・
そのように丸山先生は思っていた。

 

1975年、74歳という年齢と持病の
ヘルニアを心配していた息子さんから
丸山ワクチンを製薬会社に渡す事を
考えたほうが良いのでは?
という話をされました。

 

企業に変なふうに触られて
金儲けの手段にされては患者が困る
丸山先生はこのように話したが・・・

 

息子さんが心配していたのは
お父さんにもしものことがあったら
丸山ワクチンは幻の薬に
終わってしまうんじゃないか?
このことだったのです。

 

その結果、信頼のおける製薬会社に
丸山ワクチンの製造を任せる事に。

 

それによってメディアによる報道は一層過熱
メディアで丸山ワクチンが特集されると
日本医科大学では電話は一晩中なりっぱなし
ワクチンの希望者は日に日に増えていき
1日に700人の長蛇の列ができていた

 

1976年、山形県酒田市の開業医
加納先生が5年間の丸山ワクチンの
データを持ってきてくれました。

 

根治困難と言われる患者の5年生存率が
なんと47.4%との結果が!

 

そのままの比較はできないが
2006年から2008年の全がんの
5年相対生存率は62.1%だが
50年前の47.4%は驚異の数値だった

 

そして1976年に丸山ワクチン
という書籍も発売された
もちろんベストセラーとなった。

 

一方で放射線や抗癌剤と併用せずに
単独で投与してこそ効果がある
こう訴える丸山先生に
日本の医学界首脳は反感を覚えていた

 

丸山ワクチンと癌学会主流派との対立

1976年の宮城県仙台市での
日本癌治療学会の講演で
丸山先生の発表が終わると
医師たちからこんな声が・・・

 

「こんな人を惑わすような薬は作ってくださるな」
先生の信者は多いが、迷惑を
被っているものも多いんだと。

 

ここで丸山先生と
がん学会主流派との対立が始まった。

 

一方、ワクチンづくりを担ったメーカーと
丸山先生らがまとめてきたデータや
山形の加納医師がまとめたデータを
厚生省に提出、1976年のことです
製造承認の申請です。

 

当時の厚生省は薬の承認、不承認の結論は
中央薬事審議会の調査会の判断に
委ねられていた。

 

その調査会のメンバーは秘密で
会議の中身も非公開でした

 

この調査会は、がん免疫療法のA剤を
1年で承認、B剤を2年半で承認していた

 

そのうちの1つの薬には副作用があった
丸山ワクチンは副作用がない
なのできちんとしたデータさえ揃えば
我々の望む結論を出してくれるはず
そのように考えていました。

 

メーカー側が新たな裏付けデータを頼みに
医療機関へ行くと、当時の医師たちは
丸山ワクチンをやるならこの病院を辞めろ
このように上から言われていたそうです

 

更に別の病院でも臨床の依頼をしたが
皮膚科の医者の作った丸山ワクチンなんて
あんなのやると、お宅の会社の
命取りになるよと、製薬メーカーの人は
言われたそうです。

 

ようやく臨床試験を引き受けてくれたのは
基礎病理学の権威、佐々木研究所の
佐藤博病理部長でした。

 

臨床試験は大成功に終わった
がんを移植したラットのうち
丸山ワクチンを打たないラットは
20日間で全て死んでしまったが
丸山ワクチンを打ったマウスは
半数以上が60日間も生存した

 

それだけではなく、ガンが全部壊死の状態に
なっていて、そのうちの1匹は
がんが全く消えてなくなっていた

 

それが強い追い風となり、他の病院からも
データが集まってきました。

 

そして1978年8月4日、調査会では審査をし
結論が出ました、それは不承認だった
更にA剤、B剤のときには必要なかった
追加の資料も求められた。

 

承認基準のハードルを引き上げられたのです
そして加納先生が5年の時間を費やして
集めたデータは返却された
開業医のデータは認めていないとのこと。

 

明らかに丸山ワクチンの認可を通さない
という事だったのです
比較臨床試験を行うとなると
後3年位は必要と話していた
この時丸山先生は77歳でした。

 

それでも厚生省の支持に従い
東北大学医学部による比較臨床試験が開始
一方で1980年には、丸山ワクチン患者
家族の会が結成された
大規模な署名活動も行われた。

 

その当時の厚生大臣がこんな発言を
「いろいろな事情から認可になるように
資料や実例を集めて、早急に結論を
出してほしいと伝えている」

とラジオ番組で話していた。

 

そして1981年、丸山ワクチンに対して
ますます盛り上がる世論の声に押され
それまで公表されていなかった14人の
メンバーを公表しました。

 

そしてある疑惑が浮上・・・
当時衆議院議員になったばかりの菅直人さん
スピード承認された、A剤とB剤の
研究者の中に調査会のメンバーを
兼ねていたことを突き止めた
のです。

 

この時点で認可されていた2つの薬は
ともに数百億円を売り上げていた

 

丸山ワクチンが認可されたら
自分たちの薬が打撃を受けるから
嫌がらせをしているとしか思えない
このように丸山先生の奥さんは話していた
このように考えるのは当然の話しです。

 

その頃、元がん研の服部隆延医師らが
新たに行った臨床試験が完了

 

それによると、末期がん患者の32例で
抗がん剤のみの使用で1年生存率が1.5%
2年生存率が0%だったのに対し
丸山ワクチンを併用した方は
1年生存率が28.1%、2年生存率は9.4%
という明確な差が出た
のです。

 

更に東北大学の比較臨床試験の結果
ガンを小さくする制がん効果は否定したが
延命効果は認められました。

 

裏付けは十分だった
そして1981年5月27日、再度申請へ
丸山先生はいつも通り診察をしていた。

 

1981年7月10日、丸山ワクチン審判の日

そして丸山ワクチンの審判の日
午後5時50分に連絡が入り
再び不認可でした
有効性を完全に否定したのです。

 

そして丸山先生は記者会見を行い
このように言いました。

 

「従来厚生省は新薬の認可について
副作用のあるものは絶対に除外する
という方針を取っているが、ただひとつ
抗がん剤だけが例外として特別扱いを
受けている、一方で丸山ワクチンには
副作用は全く認められません
このように厚生省の認可の条件に
合致しておる丸山ワクチンは
中々認可されず、これに反し認可の
条件に合致しない抗がん剤は
次から次へと認可されているのは
不可解としか言いようがない」

 

こんな不可解な事があってもいいのか
という感じですよね
医学界の闇を感じますよ。

 

更に信じられないことが・・・
丸山先生はこの報道で患者や家族は
どう思っているだろう・・・
国が認めない丸山ワクチン
今まで自分が語ってきたことも
いい加減なものだと思っていないだろうか?

 

支えてくれた奥様にもすまない
思いだったようです。

 

新聞でも不認可が大々的に報道されたので
恐らく患者もいないだろうと
考えていたのだが、なんと患者さんは
とても多く並んでいたそうです。

 

そして励ましの言葉をいただき
丸山先生は勇気をもらいました
そしていつも通り患者さんと
対話を続けていた。

 

この2日間のことを著書でこう記している
「私にとって最も辛い思い出の日
それは1981年7月10日という日付である
しかしその翌日の7月11日は
生涯忘れられない喜びの
1日であったといえるだろう」

 

その1ヶ月後、調査委員会は国会で
丸山ワクチンの認可の追求をされいて
書類を見落としていたなどの
様々な言い訳をしていたことがわかった。

 

後に調査会のメンバーであった一人が
取材にこう答えていた
「結局事前に厚生省との間で拒否
ということが決まっていた」

これが本当なら大変なこと、恐らく
それが真実なんだろうなと思うが・・・

 

その追求をかわすために中央薬事審議会は
世間をあっと言わせる出来事が・・・

 

本剤の本質である人型結核菌体抽出物質を
無効と断定するものではない

と記者会見で話し
「有償治験薬」という名目で
丸山ワクチンの暫定的な使用を承認したのです
明らかに今後の追求の火消しですね。

 

更に8年後、厚生省はあのA剤、B剤に対し
単独使用での有効性を否定
既にこの2つの薬には医療費が
1兆円以上つぎ込まれていた
のです。

 

1991年には丸山ワクチン濃厚液が
放射線副作用抑制剤として認可された
全国の病院で使われるようになった。

 

そして1992年、心不全のため
丸山医師は亡くなりました
治療を受けた患者さんが多数
葬儀場へ参列したそうです。

 

丸山先生の長男もがんを患っていて
2007年に末期の食道がんを宣告され
余命4ヶ月と診断されていた。

 

しかし化学療法と放射線治療
丸山ワクチンで治療をすると
原発巣は消失したのです
現在まで10年間延命を果たしている。

 

また丸山先生がなくなった後
先生自身が最後まで解明できなかった
ワクチンの制がん作用の
メカニズムが明らかに。

 

それはワクチンによってコラーゲンを増やし
がん細胞を取り囲むように封じ込める
その結果、ガンは縮小し
ときにはガン細胞を完全に
消滅することもあるとのこと

 

現在、がん治療の現役医師や厚労省の考え

丸山ワクチンに対する癌治療の
現場医師たちの意見として
・積極的には丸山ワクチンを使用してない
・免疫療法は個人差が激しく、たまたま
 丸山ワクチンに反応しやすい人も
 いるということではないか?
・現在は他にも効果が期待できる薬も
 開発されている

という意見が。

 

一方厚生労働省は
データが集まり審査して、有効性や安全性
品質が確認されれば承認されるでしょう

という回答が。

 

2014年には第3臨床試験、アジアトライアルで
2023年までの臨床試験結果いかんでは
制ガン剤として認可される可能性もある
現在でも約6千人が丸山ワクチンを
使用しています。

 

国と医学界の信じられない面が
垣間見えたような気がしますね
それにしてもこれはひどい・・・・

 

 

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